歴 史 |
築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない。
その後三好氏の配下の四宮氏が城主となったが、天正10年(1582年)、長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を長宗我部元親の配下である真下飛騨守が守備する。天正13年(1585年)、四国征伐により蜂須賀家政が阿波国の新領主となり、徳島城の支城を9城置き(阿波九城)、益田正忠を撫養城の城番としてこれを守らせた。一国一城令により、寛永15年(1638年)、廃城となった。
建 物 |
城跡のある妙見山は妙見山公園として整備されており、頂上近くには三層の模擬天守が建てられている(本来の撫養城には天守は無かった)。天守内部は徳島県立鳥居記念博物館(鳴門市出身の人類考古学者、鳥居龍蔵の業績を記念した博物館)となっていたが2010年11月に徳島県文化の森総合公園へ移転した。
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文指定 |
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コメント |
お城の前には芝生が敷いてあり、大勢の人が花見の宴会中であった。
花見期間中なのか撫養城は入館無料でありここにも大勢の人が入っていた、パンフレットを見るとお城のリニューアルをしたようで、城の名前も「トリーデなると」の看板があり撫養城の表示が見当たらない。内部も鉄筋で新しい感じを受けた。展示品はなく展望の良い遊び場のようだ。
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