歴 史 |
室町時代に日和佐肥前守が築城したという説があるが、日和佐城についての史料があまり残っていない為、この城については不明な点が非常に多い。
城主だった日和佐氏は、1577年11月17日に長宗我部氏の海部進攻の主将香宗我部親泰の起請文をうけて降伏し、その後は臣従し土佐に移り住んだ。
しかし、蜂須賀氏が阿波を治めるようになると、阿波藩藩主、蜂須賀家政に帰住をすすめられ、また阿波に帰り、石高50石を知行する士分に取り立てられたという。
建 物 |
現在城跡とされる城山には、昭和53年(1978)に模擬天守が構築されており、日和佐勤労者野外活動施設として利用されていた。もちろん、当時の建物を再現したものではない。
石垣も当時の遺構を利用したものではなく、建造当時の遺構と言えるものはほとんど見当たらない。入場料、無料。
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文指定 |
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コメント |
この城には2度訪問し、一度目の訪問をすっかり忘れていた。小高い場所に建てられた城で天守からは360度のパノラマを見ることができる。入場は無料で管理者も見当たらない。
内部は展示物もなくさっぱりとして、一階のみ昭和の古いもが展示してあったが、まだ観賞する気分にはならない。外の駐車場では桜を肴に宴会があちこちと、平和な日本です。
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