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住 所 |
埼玉県川越市郭町2丁目13-1 |
撮 影 |
2016/08/21 |
歴 史 |
川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏(しげうじ)に対抗するため、長禄元年(1457)に家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子に命じて築城したものです。
当初の規模は、後の本丸・二の丸を合わせた程度と推定されています。やがて川越城は天文6年(1537)後北条氏の占拠するところとなりましたが、同15年(1546)川越城の奪回を図った上杉氏は後北条氏の奇襲に会い、大敗して群馬に逃れ、それ以後、後北条氏の支配が決定的となりました。
川越城を掌中に収めた後北条氏は、周辺の旧上杉氏所領を直轄領に組み込むとともに、城代として譜代の重臣大道寺氏を配置しました。天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城は前田利家に攻められて落城しました。やがて同年8月徳川家康が一族家臣を従えて関東に移るにおよび、重臣を重要な地に配して領国の安定を図りました。
川越には酒井重忠が1万石をもって封じられ、ここに川越藩の基礎が成立しました。寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は川越城の大幅な拡張・整備を行い、近世城郭の形態を整えることとなりました。即ち本丸、二の丸、三の丸等の各曲輪、四つの櫓、十二の門よりなり、総坪数は堀と土塁を除いて4万6千坪となりました。 川越市立博物館ホームページより
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建 物 |
明治維新を迎えると、川越城は次第に解体されていきましたが、大広間及び玄関部分だけは入間郡役所、煙草工場、中学校校舎などに使用されました。
現存する建物は往時と比べ、敷地面積にして8分の1、建坪で6分の1の規模でしかありませんが、3間の大唐破風をはじめとする建物の各部分に武家の威容を感じ取ることができます。
日本国内でも本丸御殿が現存している例はきわめてまれで、昭和42年(1967)に埼玉県の指定文化財になりました。 川越市立博物館ホームページより
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文指定 |
県指定文化財
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コメント |
川越の街並みを含めて何度か訪問したことがあり今回はカメラを持ちながらの散歩をしてきました。夏の盛りで汗を拭きながら見て回りましたが、観光地はどんなに暑くも人出だけはいっぱいの川越市でした。本丸御殿は市の駐車場の前で無料で停めることができます。市の説明にもありますが本丸が残っているのは珍しい建物です。
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