◇◇ 佐賀城 ◇◇
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佐賀城

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住  所 佐賀県佐賀市城内2丁目18   
撮  影 2017/03/31
歴  史  江戸時代初期に築城され、幕末に至るまで、佐賀鍋島氏の居城であった。
 城は、龍造寺隆信をはじめとする龍造寺氏の居城であった佐賀龍造寺城(村中城)を改修拡張し築かれたもので、本格的な本丸の改修が始まったのが1602年(慶長7年)。
 さらに1608年(慶長13年)から1611年(慶長16年)までの総普請により、幅80メートルにも及ぶ堀を持つ五層天守の城が完成した。その後、二回の大火に見舞われている。1726年(享保11年)の火災では天守閣ほか本丸、二の丸の多くの建造物を焼失した。
 その後、天守、本丸は再建されず、1728年(享保13年)に二の丸に完成した御殿や重臣屋敷で藩政が執り行われていた。1835年(天保6年)の二の丸火災の後、1838年(天保9年)に本丸、現存する鯱の門・続櫓などが再建された。
 2012年の発掘調査によれば、天守台の礎石の配置などから見て、佐賀城の天守閣は1階部分が南北約30メートル、東西約26メートルで、九州最大級の小倉城に匹敵する規模であったと推測されている。
建  物  城跡は佐賀城公園として整備され、2004年(平成16年)には木造復元建物としては全国最大級の規模を誇る本丸御殿(佐賀城本丸歴史館)が建てられています。なお、本丸御殿のうち、御座間の部分は天保期の瓦や柱がそのまま使用されています。1874年(明治7年)に起きた佐賀の乱では、江藤新平たち反乱軍に一時占拠され、建造物の大半を失いました。
 鯱の門には当時の弾痕が生々しく残っています。
文指定 -
-------  当日は雨が強く一時車の中で待機をする状態でした、30分ほどして雨も小降りになったのでぶらり城めぐりを開始する。鯱の門をくぐるとすぐに木造で再建された本丸があり、入口には大砲が設置してある。
 無料で本丸内部に入ることができ広い廊下と畳張りの大きな部屋が連なっている。映画に出てくるような幾重にもふすまを開けて進まないと殿様までたどり着けないような風景だ。天守台もあり、五層天守の城の再建も計画にあるようです。