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住 所 |
大分県臼杵市臼杵丹生島91  |
撮 影 |
2017/04/04 |
歴 史 |
1561年(永禄4年)、毛利氏との戦いに敗れた大友義鎮は、翌1562年(永禄5年)に臼杵湾に浮かぶ丹生島に新城を築き、大分府内大友館から移ったとされている。
だが、1557年10月29日に宣教師のガスパル・ヴィレラからイエズス会に送られた書簡(『耶蘇会士日本通信』)には家臣の反乱(小原鑑元らによる「姓氏対立事件」)を避けるために丹生島に移った事が記されており、その後永禄年間初頭までの大友氏関係文書を分析しても義鎮が要人との会談や家臣の呼出を臼杵において行っており、そのまま「在庄(庄=丹生島がある臼杵庄)」していた可能性が高いことが裏付けられる。
従って、具体的な時期を断定する史料は存在しないものの、義鎮自身は1557年(弘治3年)前後には臼杵へ拠点を移していたと考えられている1586年(天正14年)の島津軍の侵攻(丹生島城の戦い)に対して「国崩し」と呼ばれたポルトガルから入手の大砲、「フランキ砲」を動員するなどして島津軍を退けたが、城も城下も大きく損失した。その翌年、大友義鎮は死去した。
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建 物 |
1966年(昭和41年)には大分県の史跡に指定された。2001年(平成13年)、二の丸大手門に当たる大門櫓が木造で復元された。
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文指定 |
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コメント |
午前7頃到着したのでしばし駐車場で休憩、時間とともに青空が広がり最適なお城巡りに変わっていく、周囲のお堀にはカモが数匹泳いでいて、お堀のところどころには穴が開いて昔の防空壕のような感じを受ける、階段を上ると復元された二の丸大門櫓があり一番の目玉になっている。
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