◇◇ 大分城 ◇◇
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大分城

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住  所 大分県大分市荷揚町4   
撮  影 2017/04/04
歴  史  大分市荷揚町に所在する「府内城」(荷揚城)は、府内藩主の居館および武家屋敷により構成された、近世城郭の特徴を色濃く残す城です。大分川と住吉川に挟まれ、かつて海辺に面した府内城は、白土の塀と、まるで水上に浮かぶその姿から、「白雉(はくち)城」とも呼ばれています。
 府内城の築城は、大きく二つの築城段階があり、福原直高と竹中重利の段階に分かれます。 福原直高は、慶長四年(1599)に府内城の本丸、二の丸(三重櫓)、三の丸(家臣屋敷)まで造っていました。また、天守は入城できましたが、完成していなかったと思われます。
  やがて慶長六年(1601)に府内に入った竹中重利は、府内城の修増築と城下町の建設を始めます。防備を固めるため、石垣を築いたほか、天守、櫓、武家屋敷が、慶長七年(1602)に完成します。その後、城下町建設に取り掛かり、慶長十三年(1608)に、商船の出入りの為に港「京泊(きょうどまり)」を設けるなどを行い、城下町を整備しました。
建  物  本丸跡北西隅に人質櫓(二重櫓)と西丸に宗門櫓(平櫓)が現存し、大分県の史跡に指定されている。3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元されている。
文指定 -
コメント  西丸跡には1966年に大分文化会館が建てられたが、2013年10月に閉館した。大分市は1993年に、大分文化会館を解体した後の構想として、中期的に発掘調査、城内整備を行った後、長期的には天守閣再建を含めた府内城の復元を行うとする府内城整備基本構想を策定しているが、経済情勢の変化等のために実現の目途は立っていない。ぜひ頑張って天守閣の再建をしてほしいですね。