◇◇ 備中松山城 ◇◇
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備中松山城

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住  所 岡山県高梁市内山下1   
撮  影 2016/12/16
歴  史  天守が残る日本で唯一の山城。現存12天守のひとつとして有名。相模国から備中国有漢郷へ入国して来た地頭・秋庭三郎重信が臥牛山の最高所・大松山に鎌倉時代の延応2年(1240)に築城したのが最初。1683(天和3)年に水谷勝宗(みずのやかつむね)によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になりました。
 現存天守の中ではもっとも訪問しづらい城といえます。また江戸時代、城主をつとめた水谷氏がお家断絶になったため、『忠臣蔵』で有名な赤穂藩主・浅野長矩の管理とされ、城の受け取りには家老である大石内蔵助が訪れています。そのため山頂にのぼるルートにはそのときに休んだとされる「大石内蔵助の腰掛け石」があります。
建  物  平成六年度からはこれら重要文化財を中心に、本丸の復元整備が行われており、本丸の正面 玄関ともいえる本丸南御門をはじめ、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、土塀などが忠実にもと づいて復元されています。
文指定 国の重要文化財
コメント  お城までの道のりが幅の狭い道路を登りガードレールが時々ない場所もあって慎重に上る。道路の終点には10台ほど置ける駐車場がありここから山道を歩いて登る。およそ30分ほどで備中松山城に到着する。山の岩場を城壁として利用し、いかにも攻めにくいお城であること。現存する天守閣12か所であることも理解できる。