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住 所 |
>新潟県上越市本城町 |
撮 影 |
2016/05/12 |
歴 史 |
徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られた。城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗である。高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城である。約230メートルから約220メートル四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用した。すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれなかった。
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建 物 |
天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用とした。当時の三重櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている。
上越市発足20周年記念事業として、焼失した三重櫓を1993年に復興した。2002年(平成14年)、高田城築城当時、二の丸から本丸に渡っていた極楽橋が発掘調査の資料をもとに再建された。
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文指定 |
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平城なので周囲は堀を2重に造られて外敵から防ごうとしたのが感じられる。建物は約15メートル程度の高台に建てられて櫓と天守を兼ねた造りとなっている。
堀の外から見る3重櫓が素晴らしい、残念なのは堀の半分は埋め立てられたのが時代の流れを感じさせる。4月中旬に立ち寄ろうとしたが桜の花見客でごった返して駐車場が遠くになってあきらめた経緯あり、時期を過ぎれば落ち着いたたたづまいは昔を感じさせる雰囲気は十分に感じとることができた。
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