◇◇ 長岡城 ◇◇
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長岡城

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住  所 新潟県長岡市御山町   
撮  影 2016/07/07
歴  史  慶長10年(1605)に堀直寄が築き長岡藩が成立した。元和4年(1618)堀直寄が越後村上城に転封された後、長岡城には徳川家譜代の牧野忠成が入り、7万4千石の城主となった。牧野忠成は、堀氏から受け継ぐ形で長岡城を完成させ、城下町を整備した。以後長岡藩は牧野氏13代で幕末を迎える。
 慶応4年(1868)の戊辰戦争の際、薩摩・長州連合軍は長岡藩領の柏崎にまで進軍してきた。この一方的な進撃を受けて当時の上席家老河井継之助は総督府軍監・岩村精一郎と会談し、長岡藩に官軍を受け入れる代わりに会津藩と和解するよう申し出たが拒否され、薩長軍は長岡藩領の榎峠を占領した。
 ここに至って長岡藩は薩長軍に対して開戦を表明し、奥州越列藩同盟に加盟することを決定。薩長軍と凄まじい攻防戦を展開し、薩長軍を戊辰戦争最大の苦境に落とし入れたが、新発田藩が薩長軍側に寝返ったことで情勢は一変し、長岡城は陥落、長岡藩軍は全滅した。
建  物  市街地から離れた所に悠久山公園がある。園内には長岡城の模擬天守が建ち郷土資料館となっている。この資料館には戊辰戦争、河井継之助に関する資料や、長岡藩家老山本帯刀の子孫で第二次世界大戦で名をはせた連合艦隊司令長官・山本五十六の資料も展示され見ごたえのある資料館である。
文指定 -
-------  カーナビ頼りで長岡市まで進んだがビルやホテル群の中、城跡らしいものが見つからない、ビルの間を2回りしてようやく長岡城址の石碑を見つけることができた。
 明治以後、長岡駅の設置、宅地化によって牧野氏の居城も全く消滅してしまっている。ネットで再度確認すると市街から少し離れた小高い場所に資料館として建物があることが分かった。