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住 所 |
奈良県大和郡山市城内町 |
撮 影 |
2016/12/08 |
歴 史 |
1580年(天正8年)頃の筒井順慶の時代には望楼型3重の天守があったが、1585年(天正13年)に伊賀上野城に移築された。その後、豊臣秀保によって高さ約15〜20m、5重6階または5重5階の2代目天守が築かれたが、この天守も徳川二条城へ移築されたと伝えられる。なお、この5重の天守については建築学的には否定されてきたが、2014年(平成26年)の調査で天守台に礎石が発見され、存在がほぼ確実となった。
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建 物 |
昭和58年(1983)に梅林門、昭和59年(1984)に追手隅櫓、昭和62年(1987)に追手向櫓がそれぞれ復元された。
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文指定 |
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コメント |
お城の見学も駐車場探しでいつも四苦八苦している。今回も駅の近くにあったのだが高さ2メートルまでとなっていて目的の場所に入れずいつものように周囲をぐるぐると回りながら、やっと探して入ろうとしたら病院の専用駐車場という、守衛さんに聞いてようやく見つけることができた。
いつもこんな感じでお城めぐりをしている。着いた頃には気疲れして戦闘力が半減している状態。天守台に礎石が見つかったようで天守閣が復元されるといいですね。
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