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住 所 |
長崎県大村市玖島1 |
撮 影 |
2017/03/29 |
歴 史 |
初代藩主大村喜前(よしあき)が慶長3〜4年(1598〜1599)に築いた城。豊臣秀吉が死去し、再び争いが起こる気配となり、居城三城城では鉄砲や大砲を使った新しい戦に対応できず、新しい城造りが急がれていました。
三方を海に囲まれた玖島の地が選び玖島城が築かれました。初め北側を大手とし、石垣は自然石を使っ た野面積みの方法で築かれました。慶長19年(1614)2代藩主純頼(すみより)が大改修をして、大手を南にし、石垣を打ち込み接(は)ぎと呼ばれる工法で、角や面を加工し、高く反り返る石垣へと造 りかえました。
喜前が加藤清正と特に親しかったことから、この改修にあたり指導を受けたと伝えられています。 玖島城には天守閣はなく、本丸には館造りの屋敷がありました。慶長3〜4年(1598〜1599年)築城してから12代藩主純熈(すみひろ)の代(幕末)まで、270余年間大村氏の居城でした。
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建 物 |
築城者である「大村喜前」の遺徳碑や最後の藩主となった「大村純熈」の像がある。また、平成4年(1992年)には板敷櫓が再建されている。
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文指定 |
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海に囲まれて守りの堅い玖島城、城主大村喜前から12代、明治2年まで続いた。石垣は高く反り返りきれいに積み上げられている。道路から見ると石垣から飛び出したような櫓が印象的。
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