◇◇ 平戸城(亀岡城) ◇◇
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平戸城

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住  所 長崎県平戸市岩の上町1458   
撮  影 2017/03/29
歴  史  平戸藩主松浦(まつら)氏の居城で、別名亀岡城とも呼ばれます。慶長4年(1599)平戸港周辺を基盤として 勢カを拡張し、戦国大名へと発展し豊臣秀吉に領知の承認をえました。
 慶長5年(1600)の「関ヶ原の戦い」では、積極的な動向をせず徳川政権に豊臣派の可能性を疑われ慶長18年(1613)築城して13年目の城を焼却して恭順の意を表したといいます。焼失した後建設されたのが、元和6年(1620)頃に平戸港 の北側の「御館山城」跡の下方に「御館」を建設し藩庁としました。
 第5代藩主松浦棟(たかし)になって、亀岡に「平戸城」の再築を幕府 に願い出て、宝永元年(1704)再築に着手し、享保3年(1718)に完成しました。 概要としては、本丸、二の丸、三の丸、白浜廓、外廓からなり、二の丸に「御殿」が 築かれました。宝永元年より享保3年までの城築総入目銀高は1,180貫303匁8分2厘、延べ総 人夫数は554,371人でした。
建  物 現在の各櫓は昭和37年に平戸市が復元したものです。
文指定 -
コメント  亀岡公園の中にあり天守閣は3層の小さなものですが、最上階からは素晴らしい展望で、島の周りの海を見下ろすことができ、島々もとてもきれいに眺めることができます。 天守閣の中には、どこの城でも目にする平戸の歴史的な物が展示してあります。要所々に櫓があり見ごたえのあるお城です。