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住 所 |
長野県上田市二の丸 |
撮 影 |
2016/03/08 |
歴 史 |
真田氏は平安時代から長野県東信地方に栄えていた滋野三家の中心的存在であった海野氏の一族で、真田信繁(幸村)の祖父、真田幸隆が武田信玄に仕えていた頃からと頭角を現します。
幸隆が上野(群馬県)北部を攻略、砥石城を調略によって手に入れるなど戦績を残し、幸隆の子、真田正幸ものちに「表裏比興の者」と呼ばれるほどの知将として名をはせます。天正11年(1583)上田城を築城、第一次、第二次上田合戦では徳川軍の猛攻を二度にわたり退けます。
関ケ原の合戦時では真田昌幸・真田信繁(幸村)は西軍に、昌行の長男・信之が東軍につくことになり、西軍は敗戦、真田昌行・信繁(幸村)は九度山に配流となり、信之が上田城主となります。大坂夏の陣・冬の陣では信繁(幸村)が大活躍しますが徳川家康の首まであと一歩のところで戦死、上田城主だった信之は松代へ移り松代真田家の礎を築きました。上田城紹介HPより
真田氏の城郭
上田での実際の支配期間は40年ほどであるが、小説「真田太平記」、「真田
十勇士」や時代劇の舞台として真田氏の居城「上田城」が登場する。戦国期
の真田氏城郭にはほかにも以下の城がある。
真田本城
戸石城(砥石城)
沼田城
岩櫃城
名胡桃城
塩田城
伊勢崎城
矢沢城
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建 物 |
明治以降は、破却や城外への移築が行われて城内には石垣と櫓(西櫓)が1棟残るのみであったが、昭和期に、移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期には櫓門や塀などが木造復元されている。今後二の丸の土塁や塀なども復元されることになっている。
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文指定 |
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コメント |
訪城したのは大河ドラマの真っ最中であり見学者は多い、駐車場は櫓の崖下にあり2つの櫓を見ることができる。二の丸橋を渡ると城址入り口には「信州上田丸大河ドラマ館」があり一年間にぎわうことだろう。東虎口門の櫓両サイドの櫓は立派なもの、石垣には「真田石」なるものはデーンと積んである。
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