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住 所 |
長野県諏訪市高島1丁目 |
撮 影 |
2016/07/05 |
歴 史 |
天正18年(1590)、当時の諏訪領主諏訪頼忠が徳川家康の関東転封に従って武蔵国へ移った後、豊臣秀吉の武将日根野織部正高吉が諏訪に転封、2万7千石を与えられ諏訪の領主となる。高吉は安土城や大坂城の築城にも携わった築城の名手。転封の翌年、天正19年(1591)にはすでに城地の見立てと設計を終え、翌文禄元年(1592)に着工、慶長3年(1598)まで7年ほどかかって高島城を築城した。
その後、関ヶ原の戦いで徳川軍に属した諏訪頼水(頼忠の子)は、慶長6年(1601)家康の恩恵によって旧領諏訪に帰り藩主となり、以後、10代藩主忠礼に到る270年間、諏訪氏の居城としてその威容を誇った。
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建 物 |
昭和45年(1970)、天守閣が復興され、同時に、冠木(かぶき)門・角櫓なども復興されたほか、当時の石垣の一部も残るなど、往時を偲ぶことができる。
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文指定 |
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コメント |
お堀に沿って建てられた櫓と天守閣、城内よりもお堀の外から一周すると十分に目を楽しませてくれる。周囲は石垣で巡らせてあり諏訪湖に続く軟弱な場所に建てられているためにたびたび石垣の修正が行われている。現在(2016)の見学時にもところどころ石垣にゆがみがあるように感じている。地震の国日本なのでメンテナンスも大変だろう。
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