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住 所 |
長野県飯山市飯山 |
撮 影 |
2016/07/06 |
歴 史 |
この城はもと常盤牧の泉氏の居城でのち上杉謙信の属城となり永禄七年(1564)ごろ武田信玄の侵攻に備え検診の創意の縄張りとさらに上杉景勝の修築による特色のある城郭で上杉氏の信濃出陣の拠点となった。慶長三年(1598)上杉氏の会津移封後は関・皆川・堀・佐久間・松平・永井・青山・本多の諸氏が後退して城主となった。 (飯山市教育委員会案内板より)
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建 物 |
明治5(1872)年から飯山城の取り壊しが始まり、いろいろな建物の中で城門については各地へ売却されたと伝えられている。多くの門が各地へ移設されたものと思われるが、確実に飯山城の門と言えるものは長野市に移設された南大手門、神明町の妙専寺へ移設された本丸裏門(不明門)、長野市田子へ移設された門(どこの門か不明)である。
この門は平成5年度に丸山家の旧住居の解体にともなって、飯山市が移築復元した。解体にあたっては家屋の柱や部材をすべて調査し、当時の材料のみを多くの部材の中から取り出した。全体規模については不明のため、当時のままの復元は不可能であったが飯山城取り壊しからすでに120年余の歳月が流れている。ここにはじめて飯山城にまつわる遺構が復元展示されることの意義は大きい。
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文指定 |
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真夏の暑いさなかの散歩はいささか体力に負担を感じ緊張感のない史跡めぐりとなってきた。飯山城としては現在の地には城門と若干残っている石垣程度であり明治の初期には他の門などが売り払われて他の場所で現在も残っているという。移築された城門も創造の部分も含めて復元されたもの、是非永く残してほしいと思う。
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