|
住 所 |
宮崎県児湯郡木城町大字高城字城山 |
撮 影 |
2017/04/03 |
歴 史 |
天正6年(1578年)大友宗麟の大軍は松山塁などに布陣して高城を包囲したが、城主山田有信はわずかな兵で島津の援軍がくるまで耐えた。島津義久も軍勢を率いて駆け付け、両軍は高城川で激突し、緒戦は大友軍が押し込んでいたが、次第に島津軍が優勢となり大友軍は敗走、島津の追撃にあい耳川に追い詰められ大敗した。
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐では、羽柴秀長率いる二十万の大軍に攻められた。山田有信はわずかに千五百の兵で籠城して耐えたが、援軍に駆け付けた島津義久の軍勢は白根坂で秀長軍と戦い敗れ撤退、その後島津義久は秀長を経由して秀吉に降伏した。
|
建 物 |
高城は切原川と小丸川の間にある台地から東へ半島状に伸びた丘陵の東端に築かれている。現在は城山公園として展望台などが整備されている。
ここには櫓風のメロディー時計台が建っている。平成4年、この時計台を建設する際に発掘調査が行われ、竪穴状の遺構のほか、往時の生活品がなどが発掘された。
|
文 指 定 |
|
コメント |
例年ならば桜が咲いて賑やかになっているところなのだろうが、だれ一人こいない、静かな場所であった。物見やぐらのような建物があり、時計台とのと。標高は50-60mほどあり街並み全体を見下ろすことができ見晴らしは良い。
|