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住 所 |
宮崎県宮崎市佐土原町上田島8202-1 |
撮 影 |
2017/04/02 |
歴 史 |
元亀3年(1572年)に日向国の支配をかけて火蓋が切られた木崎原の戦いで伊東氏は島津氏に破れ、島津義弘の弟島津家久が佐土原城主となり島津の支配下となります。豊臣秀吉の九州遠征で島津氏は敗れますが、佐土原は島津家久に安堵されます。
家久の死後は子の豊久が継ぎますが、1600年の関ヶ原の戦いで戦死。関ヶ原の戦いに敗れた佐土原はその後幕府直轄領となり、1603年に島津以久が佐土原藩の藩主に命ぜられ、代々支配を続けて明治を迎えることとなります。
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建 物 |
宮崎市佐土原歴史資料館(鶴松館・かくしょうかん)鶴松館は寛永年間の城跡をもとに復元されたもので、大広間、書院、数奇屋(佐土原人形を展示する土人形館)の三棟からなっています。1993年(平成5年)、発掘調査の成果をもとに二の丸御殿の一部が復元された。
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文指定 |
平成16年に国指定文化財。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(196番)に選定された。
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コメント |
平成5年に復元されたが外観は京都府にある二条城に似ている作りとなっている。内部を見学するにあたり職員が細かく説明をしてくれ、天皇家の系図の説明をしてくれた。
私は群馬県なので現在の天皇陛下の奥が群馬県から天皇家に嫁いでいる、などなど。実際の城址は裏の山頂にあるという、山頂までは20分程度と言うが状況を聞くと現在は石碑があるのみというので佐土原歴史資料館を見学して去ることにした。午後5時を過ぎていて今夜は道の駅「高岡」でP泊とする。
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