◇◇ 飫肥城(おびじょう) ◇◇
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飫肥城


桜島の朝
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住  所 宮崎県日南市飫肥10丁目1   
撮  影 2017/04/02
歴  史  飫肥藩主伊東氏は藤原氏南家の家系で、鎌倉時代に曽我物語に登場する工藤祐経という武将がいて、源頼朝より日向国をはじめとして全国各地に所領を与えられ、伊豆国伊東の地に居住しました。
 その子である祐時は姓を伊東と改姓し、6代伊東祐持のとき、足利尊氏より日向国都於郡に所領を与えられ、移り住みました。代々都於郡城を居城にその勢力を拡大し、16代伊東三位入道義祐のとき、それまで島津氏の支配下にあった飫肥城を攻め取り48城を各地に配し、日向国内に覇権を樹立しました。
 しかし、天正5年(1577年)島津氏に敗れて国を失い豊後国に落ちました。その後、豊臣秀吉に仕えた義祐の子・祐兵が、天正15年の九州平定で功績をあげ飫肥城を与えられてからです。以降280年余、飫肥藩(五万一千石)を伊東氏14代で治めました。
建  物  1978年に大手門が復元されたほか、城内には御殿を模した歴史資料館が木造で建設されている。ただしこれらは元の外観資料がなく、形は考証によるものであり、史実通りの復元ではない。
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コメント  酒谷川を背に陣取られた平城で入口には大きな駐車場とお土産屋が並んでいた。大手門付近には人力車が待機して本日は無料で案内するとのこと、丁重にお断りし、もう少しから年配の人を誘ってくださいと一言。
 立派な大手門、長ーい壁が築かれ、広い内部の中央には小学校が建ち周辺にいくつかの建物が再現されている。また、奥に進むと一段上がると広い平地があり、杉の木か立ち並んでいた、二之丸や三之丸などのあとであったようだ。木陰が多いので夏でも涼しいような気がする。