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住 所 |
宮崎県東諸県郡綾町北俣1012 |
撮 影 |
2017/04/02 |
歴 史 |
細川小四郎義門の子、細川義遠は綾氏を名乗り、綾氏は数代この城にて綾を支配したがその後伊東氏の配下に入り、綾城は伊東四十八城の一つとして伊東氏の支城となる。
1577年(天正5年)に伊東氏が伊東崩れと呼ばれる家臣の多数離反と島津氏の攻撃を受け滅亡した際は最後まで伊東氏につき、落城。 伊東氏滅亡後は島津氏の支城となり、1615年に江戸幕府の一国一城令により、綾城は廃城となった。
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建 物 |
現在の綾城は、日本城郭協会に依頼した中世山城の築城についての数次にわたる調査に基づいて考察され、昭和60年春に戦国初期城楼建造物として構築されたもので、当時の綾城がこのような建築物であったとしても不都合な点はないが、かつての綾城がこのような建築物であったというわけではない
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文指定 |
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コメント |
駐車場から橋を渡ると立派な門が建っている。奥に入ると工芸館及び陶芸体験ができる建物がありその趣味のある人には楽しめそう。さらに奥に進むと再び橋が掛かっていて、奥に木造のお城が見えてくる。
内部に入るには入場料が必要。木造の建物は薄暗く梯子は急な勾配でいかにも昔を忍ばせる。内部には古い武具や武士の人形?が・・・。建物はこのような形かどうか不明で想像の形であるとか。
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