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住 所 |
宮崎県宮崎市高岡町内山3003-56 |
撮 影 |
2017/04/02 |
歴 史 |
島津家十七代島津義弘が慶長5年(1600年)、伊東氏に備えるために築城した城。天下分け目の関ケ原の合戦では石田三成方の西軍につき、合戦の様子を眺めていたところ、東軍の徳川家康が大勝したため、敵陣突破を強行して、命からがら日向細島を経て帰国途中、八代村に宿泊。
徳川家康の勝利が全国に知れ渡ると、島津氏と長年にわたって戦ってきた日向伊東氏の重臣たちは「島津氏を滅ぼし、伊東氏の旧領を取り戻すのはこの時ばかり」と考え、即座に兵を率いて島津義弘が宿泊している八代村に向かって進軍。
これに対して島津領内の武将たちが取るものも取りあえず八代村に兵を進め、ようやくのこと伊東側の兵を食い止め、島津義弘は兵数十名を引き連れて八代村を脱出。かろうじて鹿児島城にたどり着くことができた。島津義弘はこの事件から国境警備の必要性を痛感し、北方の伊東氏に備えるため、久津良名(現在の高岡町)に城を築き、「天ヶ城」と命名。比志島国貞を初代城主とし、島津氏との関係が深い武士多数を強制移住させた。やがて、徳川幕府の時代となり、元和元年(1615)の一国一城令によって天ヶ城は廃城となる。
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建 物 |
1993年(平成5年)に建てられた模擬天守は天ヶ城歴史民俗資料館で、高岡の歴史や風土、産業などをわかりやすく紹介している。標高120mの丘陵上からの眺望は抜群で、眼下に大淀川、西に霧島連山、東に日向灘が望める。
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文指定 |
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コメント |
桜が咲くのが遅れているが待ちきれずお城前ではあちこちで花のない花見の宴会が見られた。高台にある城は入場無料で、大勢の人が見学中。内部には往時をしのぶ武具などが展示してあり目を楽しませてくれる。
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