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住 所 |
宮城県遠田郡涌谷町涌谷字下町 |
撮 影 |
2016/07/15 |
歴 史 |
もともとは大崎氏の家臣の涌谷氏が所有していたが、豊臣秀吉の天下統一に伴木村氏を経た後、伊達氏の家臣亘理氏の居城になる。2代重宗、3代定宗を経て城郭を整備し、後に定宗は伊達氏を名乗ることを許されるまでになった(涌谷伊達氏)。
しかし、定宗の後を継いだ伊達宗重が後継者問題などで原田宗輔と対立し、遂には殺害されてしまう(伊達騒動)。
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建 物 |
城山公園となり、春は桜の名所として知られる。城内には隅櫓(太鼓堂)が現存し、県内で唯一の城郭遺構となっている。その隣に天守風の資料館が建設されている(実在した天守を再現したものではない)。
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文指定 |
資料館 |
コメント |
公園内に一段と高い場所にあり模擬天守閣と隅櫓(太鼓堂)があり城壁は往時のものなどが健在。ここも桜の咲いているころに来ると一段と楽しめる場所。
到着したのが遅かったせいなのか城の中には入ることができず公園内を散策してきた。
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