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住 所 |
宮城県白石市益岡町1-16 |
撮 影 |
2016/07/16 |
歴 史 |
白石城(別名:益岡城、桝岡城)は、白石市の中心部(益岡公園)にあった平山城です。仙台藩の南の要衝であり、関ヶ原の戦い後、明治維新までの260余年間、伊達家の重臣片倉氏の居城となりました。
武家屋敷・・旧小関家は、後小路南側東端の屋敷で、宝暦11年(1761)の白石城下絵図に「小関右衛門七」とあります。この地は中級家中の屋敷であり、小関家は鬱蒼たる庭樹でおおわれ、前面、側面を清冽な水流が巡り、景観的にもすぐれたものがあります。
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建 物 |
明治7年に解体されましたが、伊達政宗の片腕として名をはせた片倉小十郎景綱の偉業を偲び、平成7年に三階櫓(天守閣)と大手一ノ門・大手二ノ門が史実に忠実に復元されました。武
家屋敷・・平成3年(1992)に、主屋・門・塀が小関家から白石市に寄贈されたのを機に全面的に修復されました。
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文指定 |
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駐車場から石垣に沿って進むと大手一ノ門から大手二の門と続き三階櫓の天守閣が現れる。塀に囲まれた中央には本丸跡があり、往年の記録絵図が建っていた。ここから10分程の場所には武家屋敷も残っており水のきれいな堀に沿って建っている。
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