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住 所 |
宮城県仙台市青葉区川内1 |
撮 影 |
2016/07/16 |
歴 史 |
慶長年間に伊達政宗が築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。国の史跡に指定されている。
伊達政宗が築城した仙台城は約2万坪で、全国規模の城であった。幾度となく、地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることなく要塞としての機能を終えて、その後は明治初期から大正にかけてその大半が失われた。数少ない遺構であった大手門、脇櫓、巽門は国宝(旧国宝)に指定されていたが、第二次世界大戦時の仙台空襲により焼失した。
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建 物 |
1964年(昭和39年)に、民間の寄付を募って大手門脇櫓が復元された。これが唯一江戸時代の姿を示す建物である。向かいに石垣があるため、脇櫓と石垣の距離をもって往時の大手門の大きさをしのぶことができる。
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文指定 |
国の史跡に指定 |
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大手門跡から本丸跡まで歩くと20分ほどかかり坂道はつらい、が城跡として残っているのは登り始めの大手門の櫓、中門の石垣、本丸跡の巨大な石垣がそれぞれ復元されている。大きさから伊達家の強大さが思い浮かぶ。
明治15年の大火まで現存していたので今では記録として映像で復元しているので見ることができる。
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