◇◇ 伊賀上野城 ◇◇
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伊賀上野城

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住  所 三重県伊賀市上野丸之内106   
撮  影 2016/12/08
歴  史  織田信長の天正伊賀の乱の際には、伊賀勢の拠点の一つになりましたが、伊賀勢の敗北とともに焼け落ち、その後、豊臣秀吉の家臣、筒井定次が城を建てました。さらにその後、徳川家康が大阪城に対抗するため、築城の名手、藤堂高虎が改修していましたが、大嵐により倒壊してしまいます。
 しかし大阪夏の陣で家康が勝利したので、天守が再建されることはありませんでした。周囲の石垣は日本1、2の高さ(約30m)を誇ります。
建  物  昭和10年(1935)、川崎克氏が私財を投じて純木造の復興天守を再建、伊賀文化産業城と称した。城跡は昭和42年(1967)に国史跡に、天守は昭和60年(1985)に伊賀市の文化財に指定されている。最上階の天井には、横山大観などの色紙46点が飾られおり、そこから城下町一円を見下ろす眺めも格別です。  (城案内より)
文指定 国の史跡
コメント  伊賀上野城に、伊賀流忍者博物館として、伊賀忍者の屋敷がある。この地方には伊賀流忍者と甲賀流忍者がいて互いに術を磨ていた。時代劇映画の中でもたびたび登場する場面があり織田信長の時代から徳川の時代まで影として活躍していた。
 現在の城は地元名手の私財で模擬天守として建て、後に市の文化財に指定された。