◇◇ 田辺城(舞鶴城) ◇◇
Page 1-1

田辺城(舞鶴城)

jquery lightbox tutorialsby VisualLightBox.com v6.1

住  所 京都府舞鶴市字南田辺15―22   
撮  影 2016/12/12
歴  史  天正6年(1578)織田信長の命で細川藤孝と明智光秀が丹後に攻め入り丹後の守護であった一色氏を滅ぼして丹後を平定しました。これにより細川藤孝は丹後一国を与えられ12万石の領主となります。
 天正7年(1579)東西に河川があって要害の地と見られた田辺にも新城を築きます。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の際、石田三成方の大軍1万5千人に攻められ。城に立て篭もったのはわずか数百人の兵、50余日も善戦しましたが弾薬尽きて開城。
 このあと京極氏や牧野氏が入り、牧野氏は明治の廃城まで10代続きました。城は拡張、改修を続け本丸を二の丸、三の丸と整備されました。
建  物  田辺城跡は公園になっており、1940年(昭和15年)に復興された二層櫓の彰古館、本来の外堀上に1997年(平成9年)に復興された城門には田辺城資料館、天守台石塁などがある。 また濠はすべて埋め立てられていて存在しない。
文指定 -
-------  大手門と隅櫓が再現されています。休館日だったため中には入れず残念。城跡は一部となっているが公園として整備されている。