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住 所 |
京都府南丹市園部町小桜町97 |
撮 影 |
2016/12/11 |
歴 史 |
小麦山には天守閣はなかったので園部陣屋と呼ばれていたが、慶応4年(1868年)建築の三層の小麦山櫓が建っていた。中世園部城・・・近世園部城以前に中世園部城があったと推定されている。
四月十日、滝川、惟任、惟住両三人丹波へ差遣され、御敵城荒木山城居城取巻き、水の手を止、攻められ、迷惑致し降参申し退散、去て惟任日向守人数入置き -信長公記- と『信長公記』に記されている。これによると天正6年(1577年)4月10日明智光秀、滝川一益、丹羽長秀が丹波国制圧戦で、荒木氏綱が籠る城を囲み水の手を切りこれを降し、
自分の兵を置いて帰陣したとある。
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建 物 |
現在は京都府立園部高等学校の敷地となり、巽櫓、城門の櫓門(高校の校門)番所、太鼓櫓(八木町の安楽寺に移築)など一部の建物が現存しています。
また、近くにはる園部国際交流会館が模擬天守となっている。
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文指定 |
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コメント |
カーナビの地図とは違った場所に城跡があり探すと現在は高等学校/中学校になっている場所に櫓が建っている。立派な門があり学校の中には入ることはできず門越しの撮影をしてきた。
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