◇◇ 二条城 ◇◇
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二条城

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住  所 京都府中京区二条通堀川西入二条城町541   
撮  影 2016/12/11
歴  史  慶長6年(1601)、徳川家康の令により、奉行板倉勝重が差配、市中の多数の労役者の力により着工されて、慶長8年(1603)に完成した。
 京都の守護と上洛の際の宿所がその目的で、二条新御所などと呼ばれ、初めは小規模のものであった。家康の征夷大将軍の拝賀および大坂の陣目前の軍護は、この二条城で行われた。その後も造営は続けられ、伏見城の遺構をここに移して、寛永3年(1626)、三代将軍家光が、ここに後水尾天皇を迎えたころ、その規模はもっとも拡大され、五層の天守閣もそなえていた。
 しかし、寛延3年(1750)雷火のため天守閣を焼失、また、天明8年(1788)には、市中の大火にあい、本丸殿舎、櫓の多くを焼失した。文久3年(1863)、十四代将軍家重が入城、攘夷の実行を誓い、また、慶応3年(1867)には、十五代将軍慶喜が、この城中で大政奉還を決意し、上表の使者を出している。 案内板より
建  物  明治4年、二之丸内に京都府庁が設置され、明治17年宮内省に属し、二条離宮と改称、明治26年7月には本丸御殿後に京都御所にあった桂宮御殿が移築され、本丸御殿と呼称されている。
 昭和14年(1939)、京都市の所有に移り、史跡に指定された。国宝二の丸御殿をはじめ台所、御清所、各櫓などが重要文化財となっている。
文指定 国宝二の丸御殿・各櫓などが重要文化財
コメント  絢爛豪華な二条城、学生の修学旅行か大勢来ていた、大手門から各隅櫓などを見て回ると意外に時間がかかった。見る場所もたくさんあり疲れも忘れてみて回った。