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住 所 |
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撮 影 |
2017/04/01 |
歴 史 |
慶長12(1607)年、茶臼山と呼ばれた丘陵地に加藤清正が当時の最先端技術と労力を投じて、名城熊本城を築城します。以後、熊本城は400年に亘る日本の様々な歴史の重要な舞台となっていきます。
加藤清正公から宮本武蔵、谷干城など歴史に名を刻んだ歴史の主人公たちが繰り広げる熊本城。海外でも知られる「五輪書」の著者であり、日本で最も有名な剣豪宮本武蔵は、寛永17(1640)年57歳のとき、藩主細川忠利に招かれ、城内の千葉城で晩年を過ごしました。武蔵がここ熊本で創始した二天一流兵法は現在も二刀流の剣術として継承されています。
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建 物 |
西南戦争によって天守を含め、多くの建物を焼失しましたが、宇土櫓(うとやぐら)や東竹之丸の櫓群など、築城当時の建物も残っており、13棟が国の重要文化財に指定されています。
熊本城の特徴でもある石垣は、築城当時のまま残っているものがほとんどで、国の特別史跡に指定されています。昭和35年(1960)に市民からの寄附金も受けながら鉄筋コンクリート造で再建された天守閣は、明治時代初期に撮られた写真から、瓦一枚にいたるまで忠実に外観復元されています。
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文指定 |
国の重要文化財指定
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コメント |
2017/02/22 18時12分頃から始まり5月まで連続した地震により大きく崩壊した熊本城、九州までは数回行ったことがあるのに一度も寄ることがなかった熊本城、雄大な姿を見ておきたかった・・・・今になっては返す返す残念でならない。そんな思いを抱きながらようやく熊本城まで、地震からすでに一年が経とうとしているが、未だにほとんどと言う位、手が付けられていなかった。
完全に復興されるには20年以上かかるという、それではおいらは多分この世にいない、と言うことで今回の九州一周の計画を立てた次第。もちろん城には近づけず周囲を眺めるのみであるが大天守や小天守の屋根が破損している様や、石垣一本柱で崩れず櫓が保たれている状態、総崩れの石垣などなど見るも無残であった。
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