◇◇ 人吉城 ◇◇
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人吉城

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住  所 熊本県人吉市麓町   
撮  影 2017/04/01
歴  史  築城以来、相良氏の居城として存在し、鹿児島城の島津氏と並ぶ歴史の長さを持っている。天正十五年(1587)の豊臣秀吉による九州平定に際して二十代長毎(ながつね)はいち早く臣従の意を示し人吉二万二千石が安堵された。長毎は義陽以来の改修工事を継続し、近世型の石垣造りの城郭化を進めた。
 慶長五年(1600)の関ヶ原合戦では西軍に属して大垣城(岐阜県)に籠ったが、重臣相良清兵衛の機転で東軍に寝返り、滅亡を免れている。人吉城の改修は寛永十六年(1639)に至り完成し、現在見られる人吉城の原型がこの時に完成したのである。
 本丸には当初から天守は築かれることはなく、望楼が代わりに建てられたという。江戸時代には二度の大火に見舞われて城が焼失してしまった。文久二年(1862)の二度目の大火後の修築では西洋式の武者返しを備えた石垣が構築された。明治四年(1871)、廃藩置県により廃城となる。
建  物  現在は人吉城公園として保存整備がなされている。胸川沿いには大手の多聞櫓や隅櫓が復元され、石垣だけの無骨な城跡とは趣きの違った景観を私たちに見せている。
文指定 国指定史跡
コメント  途中で機関車と並走となり人吉の町まで、駅にいる人に聞いてみると「熊鉄」とか。記念写真を撮りながらしばし休憩。その後人吉城に到着、広い敷地に当時の面影を残すようにしっかりと石垣が残っている。
 球磨川をうまく利用した城づくりが印象的。一周するにも広い敷地なので時間もかかる、歴史館や大手門から続いて武具などの展示が並んでいた。見学のあとは駐車場の南側に日帰り温泉があったので、まだ日は高いがのんびりと湯につかってから次の行動を。