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◇◇ 中村城 ◇◇
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住 所 |
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撮 影 |
2017/04/07 |
歴 史 |
応仁の乱を避けた一条教房が、荘園(幡多荘)であった中村に下向しそのまま戦国大名として土着し、元々この地にいた豪族の為松氏が家老として取り立てられ、その為松氏により築城されたのが始まりと考えられている。
代替わりして一条兼定の時、兼定は素行が悪く家臣により豊後へ追放され、その後一条家は長宗我部元親に攻められ滅亡する。関ヶ原の戦い後、戦功により山内一豊に土佐一国が与えられ、山内一豊の弟康豊が入るが元和の一国一城令に伴い廃城となった。
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建 物 |
現在の復興天守は1973年(昭和48年)に犬山城をモデルに建てられ、二の丸跡に四万十市立郷土資料館として建てられた。
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文指定 |
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コメント |
為松公園の中にあり周囲には木々が茂り見る場所も限られてしまっている。入口には休館中の張り紙があり、資料館もほとんど活用されていないようだ。
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