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住 所 |
高知県高知市丸ノ内1丁目2-1 |
撮 影 |
2014/04/04 |
歴 史 |
江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成し、土佐藩庁が置かれた。3層6階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれている。
一豊により河中山城(こうちやまじょう)と名付けられたが、高智山城と名を変えたのち、現在の城名となった。高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られている。
明治6年(1873年)に発布された廃城令や、太平洋戦争による戦災を免れ、天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されている。現在これらは高知県の所有物となっている。
また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の一部であると伝わる部材が収蔵されている。
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建 物 |
日本国内に残る木造の12古天守の一つであり,火災や震災,明治維新による全国的な廃城,太平洋戦争など幾度となく襲ってきた危機を乗り越え,現在でもその姿を残しています。
公園内には,内助の功で有名な一豊の妻,千代の像や板垣退助像などもあります。
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文指定 |
国の重要文化財
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高知城の近くに流れる鏡川、北に流れる江の口川を天然の堀としています。天守は、山内一豊が掛川城の天守に似せて作らせたという話が残っているそうです。岐阜城にも山之内一豊の碑があったような・・
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