|
住 所 |
神奈川県小田原市城内6番1号 |
撮 影 |
2016/02/27 ・ 2017/02/23 |
歴 史 |
小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総そうがまえ構の出現に至ってその規模は最大に達しました。
天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。その後は徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となり、大久保氏の改易にあたり、城は破却されましたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新されました。
貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました。
|
建 物 |
昭和13年(1938)8月に二の丸・三の丸の一部が、昭和34年(1959)5月に本丸と二の丸の残り全部が国の史跡に指定されています。
|
文指定 |
国の史跡
|
コメント |
伊豆の河津桜を見に出かけた帰り、小田原市に立ち寄って小田原城見学とした。
この時期、城の工事中で天守閣はほとんど見えないように覆いかぶさり全体像を見る事が出来なかった。それでもこのような状態でも多くの見学者が集まってくるということはいかに北条氏と豊臣秀吉の戦いが大きかったかがうかがえるような歴史観のあるお城である。工事終了後には再び訪れたい。
|