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住 所 |
鹿児島県鹿児島市城山町 |
撮 影 |
2017/04/01 |
歴 史 |
1602年(慶長7年)、島津家第18代・家久によって築城されたのが、鶴が翼を広げるような形状ゆえ、鶴丸城と呼ばれた(今も地元の人々には一般に鶴丸城と呼ばれる)鹿児島城だ。
鶴丸城は、天守閣を持たない造りの城で、これは幕府に配慮し、恭順の意を示す為だったともいわれるが、守りではなく攻めを中心とした島津の思想ゆえともいわれる。「外城制度」を作り上げ、「人をもって城と成す」といわれた島津ならではの城といえるだろう。
明治6年頃には「御楼門」という大手口の櫓門と1重2階の兵具所多門櫓、角櫓(隅櫓)、書院造の御殿などがあった。御楼門と兵具所多門櫓、角櫓の様子については明治初期に撮影された写真が現存する。
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建 物 |
鹿児島は災害の多い地域でもあり、また南国でもあったためシロアリ被害が多く、また幾度も焼失・倒壊し、そのたびに建て替えが行われた。
1874年(明治7年)に焼失したのちは再建されることはなかった。1901年以降、城址は第七高等学校造士館の校地として使用され、戦後、鹿児島県立大学医学部、国立鹿児島大学医学部基礎教室、現在は本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館、二の丸跡には鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが建っている。残っているのは堀と石垣などが残っている。
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文指定 |
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コメント |
現状では見学するにもあまりにも見どころがなく城跡には近代的な建物があり、御楼門址沿いの道路からはお堀と石垣が続き西郷隆盛の銅像がある。
2014年現在、大手門にあたる御楼門の復元プロジェクトが鶴丸城「御楼門」復元委員会によって進められている。復元されると観光コースにもなると思うのだが。いつ出来るやら・・頑張れ復元委員会。
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