◇◇ 高松城 ◇◇
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高松城

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住  所 香川県高松市玉藻町2-1   
撮  影 2017/04/09
歴  史  天正15年(1587)に讃岐一国を与えられた生駒親正は、翌天正16年(1588)から数箇年かけて高松城を築城しました。このとき、「野原」の地名を『高松』と改めました。
 生駒氏の治世は寛永17年(1640)の生駒騒動による転封まで4代54年間に及びました。生駒氏転封後の寛永19年(1642)には、松平頼重に東讃12万石が与えられました。頼重は城内の改修を行い寛文10年(1670)には天守の改築を完成させ、翌年から東ノ丸、北ノ丸を新造し、2代藩主頼常は月見櫓や艮櫓などを建て、大手を南側から南東側に移動し、三ノ丸に御殿を建てました。
 城は大きく改変されることなく、11代にわたって松平氏の居城としてその姿を見せていましたが、慶応4年(1868)、官軍に開城することになりました。
 お城といえば「いくさ」と考えがちですが、高松城はいくさを経験していない城です。高松城が築城された天正16年(1588)には、既に豊臣秀吉により九州から東海地方まで平定されていました。また、慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦い後に朝敵とされ、土佐藩を中心とする官軍に包囲された時も戦うことなく開城しています。
建  物  明治期に外堀は埋め立てられ市街化が進み、城郭の北側も埋立てが行われ海城の雰囲気が薄れました。また、中堀より内側は兵部省(のちの陸軍省)の管轄となり、城郭建物の多くは破却され、明治17年(1884)には老朽化を理由に天守の解体が行われました。明治23年(1890)に再び松平家に払い下げとなり、天守台に玉藻廟、三ノ丸に現在の披雲閣が建築されました。
 昭和29年(1954)に高松市の所有となり、昭和30年(1955)に国史跡として指定されました。
文指定 国の史跡・各櫓・・重要文化財
コメント  海に面したお城・・ありがちだが水手御門から城への出入り口が見て取れる。城の周囲は大きな堀に囲まれ水藻に映る櫓の姿が美しい。天守台が復元されているのでいずれ天守閣も復興するに違いない。
 写真などの資料もあるとのことなので「復興委員会」には頑張ってもらいたいものです。