◇◇ 逆井城(さかさいじょう) ◇◇
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逆井城

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住  所 茨城県坂東市逆井1262   
撮  影 2016/07/21
歴  史  飯沼に臨む標高20mの台地先端にあり、城の北側は飯沼が洗い、西側は入江の蓮沼に接していました。飯沼は江戸時代の新田開発により湖水はなくなりましたが、およそ幅1km・南北30kmにわたり、その名残を残しています。
 今から約410年前(1577)の戦国時代にこの飯沼が小田原の後北条氏と佐竹氏・結城氏・多賀谷氏らの領国の境目でした。進行を続ける後北条氏は飯沼に築城をはじめ天正五年(1577)10月、北条氏繁(玉縄城主)は藤沢より城の建物を作るため大鋸引きの職人を呼んでいます。
 城主となった氏繁は盛んに佐竹・下妻方面の動向を報告していますが翌天正六年(1578)この飯沼城中で没し、その後氏舜が城代となりました。天正十八年、豊臣秀吉は小田原城に後北条氏を滅しこの飯沼城も廃城となりました。 城案内板より
建  物  城址は公園化され、櫓・土塀・櫓門・木橋などが復元されているが、これらは発掘調査に基づいた時代考証を行い復元されたもので、中世城郭の姿をできるだけ忠実に再現している。
 また復元位置をずらして遺構の保存を行っている。西二ノ曲輪は逆井城以外からの移築建造物・復元建造物が存在する。関宿城の薬医門、復元された古河城書院礎石など。本丸殿社の位置には堀之内大台城の御殿が復元されている。
文指定 -
-------  雨の日の訪問となり見学者は私のみ、2層の櫓は木造で建てられて往時を忍ばせる造りとなっている。管理人はいないので自由に見ることができる。奥には珍しい櫓も作られていていかにも見張りの櫓と言わんばかり。他に関宿城門や主殿などが再現されている。