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住 所 |
兵庫県豊岡市出石町町分189 |
撮 影 |
2016/12/12 |
歴 史 |
出石城は慶長九年(1604)に小出吉秀によって山頂の城を廃して築かれたもので一国一城制による但馬唯一の城です。
平山城に分類され梯郭式といわれるように有子山の麓に上から稲荷郭、本丸、二の丸、二の丸下の櫓、三の丸と梯子を立てかけたように城を築いています。
また東には山里郭を設けて有事に備え、三の丸の周囲には山から堀り切りで水を引き、内堀をめぐらせ北に大手門、東西にもそれぞれ東門、西門を設け天守閣は築きませんでしたが隅櫓や多門を設けて要害としました。城主は小出氏が九代、松平氏一代、仙石氏七代と続き、明治の版籍奉還まで二百七十年間、五万八千石の本城として、また但馬第一の雄藩として威容を誇りました。
最上壇の稲荷郭には城の鎮守稲荷神社を祠り本丸、二の丸には広大な御殿を建て渡り廊下で連結させていました。また本丸には仙石公の藩祖、仙石権兵衛秀久を祠る感応殿や、昭和四十三年に復元した東西隅櫓があり、往時の面影を偲ばせてくれます。
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建 物 |
明治時代になり、廃城令で出石城も取り壊されたが、辰鼓楼、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は登城橋河川公園として整備されて、観光地となっている。
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文指定 |
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コメント |
但馬の小京都「出石」の観光名所としてびっくりするほどの人出、関東地区から出かけて山の中と思いきや想定外の観光客、町並みには蕎麦屋さんが立ち並ぶ。
数枚のお皿に盛られて出るのも珍しい。そう言えば隅櫓の前にそばの発祥地の石碑があった。
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