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住 所 |
兵庫県赤穂市上仮屋 |
撮 影 |
2014/03/30 / 2016/12/17 |
歴 史 |
赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ,慶安元年(1648)より13年以上に亘る歳月を費やし、寛文元年(1661)に完成したものです。城郭の縄張りは近藤正純の指導のもと甲州流軍学によるもので、一部、二之丸枡形虎口付近は山鹿素行が設計変更したと伝えられています。本丸と二之丸は輪郭式、二之丸と三之丸の関係は梯郭式になっており、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城とされています。
本丸御殿などが整えられ、居城としての威容が示されましたが、天守台のみ築かれて天守は構築されませんでした。
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建 物 |
三代続いた浅野家ですが、刃傷事件により断絶し、その後は永井家、次いで森家の居城となりました。
明治の廃藩置県後、赤穂城は払い下げられ、屋敷地は民有地となりました。
しかし城郭復興の気運が高まり、大正元年(1912)には三之丸に大石神社が建立、大正14年(1925)には二之丸に山鹿素行銅像が建立されるなどしました。
昭和3年(1928)には本丸内に赤穂中学校(後の赤穂高等学校)が竣工されましたが、昭和15年(1940)には城跡が風致地区に指定され、昭和27年には都市公園の計画決定、さらに昭和46年(1971)には国史跡に指定され、赤穂城整備が推進されることになりました。
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文指定 |
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コメント |
忠臣蔵でおなじみの赤穂城です。一回目に訪れたときは雨のため大石神社など見て早々に帰ってしまい、再びの訪問です。天気にも恵まれてじっくりとめぐることができました。
平成14年に国の名勝にも指定されて広い場所には、まだいろいろな計画があり、これからも楽しみな場所です。
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