|
住 所 |
広島県広島市中区基町21-1 |
撮 影 |
2016/12/15 |
歴 史 |
中国地方の大半を領有する戦国大名・毛利元就の孫、輝元によって天正17年(1589)、太田川デルタに築城が開始されました。同時に城下町の建設も進められました。
関ヶ原の合戦後、毛利氏に代わって入城した福島正則は、広島城の整備をさらに進め、西国街道を町人町に引き込むなど城下町の拡充を図りました。
しかし、城郭の修築届の不備をとがめられ、元和5年(1619)に福島氏は改易され、その後和歌山から浅野長晟が城主として入城しました。以後、浅野氏が12代に渡り城主を勤めました。
|
建 物 |
昭和20年(1945)8月6日の原子爆弾投下により、天守の建物は壊滅しました。現在の天守閣は昭和33年(1958)に外観を復元して建てられ、内部は武家文化を中心に紹介する歴史博物館となっています。
平成元年(1989)には築城400年を機に内部改装を行ない、現在は武家文化をテーマとした歴史資料館となっています。
|
文指定 |
-
|
------- |
毛利元就の孫、輝元によって建てられ周囲を川に囲まれた城は守りに適した場所となっている。戦前は国宝として指定されていたのに先の大戦で原爆によりすべて崩壊し、再建は天守閣、二之丸、表御門などが復元されている。
|