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住 所 |
群馬県高崎市吉井町多比良 |
撮 影 |
2016/06/27 |
歴 史 |
永享十年(1438)関東管領上杉憲実は、鎌倉公方足利持氏と争い鎌倉を退き平井城(藤岡市西平井)に拠った。その頃平井城西方の守りとして新堀城(多比良城)とともに築城され一郷山城は山頂にあることから、のろし台としての任務が主なものであったと考えられる。
永禄六年(1563)二月西上州の侵略を図る武田信玄は攻略の緒戦として一郷山城を攻めた。
防戦のため山頂から落とした大石は真下の見銘寺を押しつぶし火災となり城は全焼、将兵は全滅、婦女子は急崖に身を投げ落城した。 牛臥山展望台案内より
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建 物 |
平成2年に建築、3階建の展望台です。地元の産業や郷土資料等の展示室になっている3階の展望台からは 360度の大パノラマで関東平野を見渡すことができる。
建物自体は歴史的には存在しないもののようで模擬天守として往年をしのばれるような感じを受ける形状に建てられている。
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文指定 |
郷土資料展示室併設の牛伏山展望台(一郷山城跡)
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コメント |
地形など往年の形状が残されていないなどと不評な意見もあるが展示物などや産業製品なども吟味しながら展示方法も工夫をし、学生などがハイキングをしながら見学し歴史に興味を持ってくれる人がいればこの建物も意味あり。
またこの模擬天守も天候によっては「天空の城」として見ることもできるのでは。・・・立派な建物でも廃城になっているものがいくつもあるので・・・
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