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住 所 |
群馬県高崎市箕郷町 |
撮 影 |
2016/11/23 |
歴 史 |
西暦1500年前後に長野氏が築城し、その後4代にわたって長野氏の本拠でした。
武田氏の西上野侵攻に際して、長野氏はこの箕輪城を本拠にして最後まで抵抗しました。永禄9年(1566)に武田信玄に落とされるとその後は、武田氏(1566〜1582年)、織田氏(1582年)、北条氏(1582〜1590年)、徳川氏(1590〜1598年)と次々と主(あるじ)を変えましたが、その度に各大名の有力家臣が城主として配置されています。
特に最後の城主井伊直政は、徳川家康の家臣のなかでは最大石高の12万石で封じられています。
その8年後の慶長3年(1598)、井伊直政は城を高崎に移し、箕輪城は廃城になりました。 高崎市ホームページより
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建 物 |
城跡には空堀や土塁の一部が残るだけで建造物はひとつもありませんが、「郭馬出西虎口門(櫓門)」と「本丸西虎口門(高麗門)」のふたつの木造城門の復元が計画され、このほど「郭馬出西虎口門(櫓門)」が完成し2016/11/23に完成式典の運びとなって見学をしてきました。
本丸などの往時の資料などあれば復元を計画するかもしれません。
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文指定 |
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コメント |
完成式典をする・・新聞にこんな記事が出ていたので早速出かけてきました。
箕郷町の山の中にある「箕輪城址」、途中まで進むと小学校の校庭が臨時駐車場になり約1キロメートルほど先まで歩いていくことに。12時を過ぎてしまったので式典は終わり役所の関係者が経緯の説明をするところであった。
周囲には数人の武者の格好をして会場を盛り上げている。1500年前後の遺構は空堀や土塁のみで石垣もなく広場のみであったがようやく虎口門が出来た。
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