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住 所 |
岐阜県美濃市泉町1571-1 |
撮 影 |
2016/10/19 |
歴 史 |
慶長10年(1605年)金森長近によって築かれた、 慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で東軍に属して郡上八幡城などを攻めた功により、飛騨高山城主金森長近は美濃国武儀郡などに二万石の加増を得た。
長近は飛騨高山は養子の金森可重に譲り、自身は小倉山城に築城して別家を興した。慶長13年(1608年)長近が没すると、二男の金森長光が継いだが慶長16年(1611年)わずか六歳にて没して無嗣改易となり、上有知藩はわずか二代で廃藩となった。その後は天領になり、元和元年(1615年)からは尾張藩領となって代官所が置かれた。
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建 物 |
小倉山城は長良川に面した場所に築かれており、現在は小倉公園となっている。
南に開けた城下町を形成し、大手には大手門跡と石垣が残っているが、城山には遺構がほとんど残っておらず、櫓風の少し変形した展望施設などがあり1階は大きなシャッターがあり閉まっていて中身は不明であった。
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文指定 |
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お城は何となく消化不良な形で見学を終わり、街に出ると「うだつの上がる街並みとして重要伝統的建造物群保存地区」となっていて、観光地としてにぎわいのある場所であった。
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