◇◇ 鶴ヶ城(会津若松城) ◇◇
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鶴ヶ城(会津若松城)

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住  所 福島県会津若松市追手町1-1  
撮  影 2015/10/04
歴  史  会津若松市のシンボルである鶴ヶ城は室町時代の初め、今から約630年前の至徳元年(1384)に葦名直盛が東黒川館として造営したのが始まりとされています。
 お城といっても当時は天守閣はなく、館程度でした。その後、伊達政宗をはさんで蒲生氏郷が豊臣秀吉の命令で会津を治め七層の天守閣を築きました。
 黒壁で織田信長の居城、安土城のようだったともいわれています。江戸時代に入り、地震で被害を受けて再建した天守閣は現在と同じ五層でした。幕末の戊辰戦争では西軍の猛攻に耐え難攻不落の名城と称えられましえられましたが、明治政府の命令で取り壊された。
建  物  現在の天守閣は昭和40年(1965)に再建されたものです。また、再建された天守閣の屋を45年ぶり(2011年3月)に大改修を行いそれまでの黒瓦を赤瓦に葺き替えました。赤瓦は会津松平藩の藩祖保科正之公時代の慶安元年(1648)頃に葺き替えられたことが記録されています。表面に釉薬を施して焼いた赤瓦は強度があり、会津の冬の厳しい寒さ、凍結にも耐えることができたようです。
 内部は郷土博物館になっています。五層からは会津若松市街地や会津盆地、磐梯山が一望できます。
文指定 郷土博物館・国指定史跡
-------  史跡の名称は会津若松城という、駐車場からぐるりと回って鉄門からが入り左側には千飯櫓が建ちにらみを利かせている。五層の天守閣は見るからに雄々しい。
 内部は郷土博物館となっている、天気のいい日は街並みと遠くには会津磐梯山を眺めることができる。本丸の跡地ではちょうどお茶の野点が開催されていた。 鶴ヶ城といえば白虎隊で有名。