◇◇ 岩石城(ガンジャクジョウ) ◇◇
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岩石城

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住  所 福岡県田川郡添田町大字添田1788-2   
撮  影 2017/03/28
歴  史  平清盛が大宰大弐であった頃、1158年(保元3年)に大庭景親に築かせた、と伝わる。はるかのちには、子孫である大庭氏が城主として数代支配することになる。
 標高はさほどではないにせよ、山岳修験道の修業場であった山に造られており「豊前一の堅城」「難攻不落」という評判もあった同城ではあるが、築城以降、菊池氏、大友氏、大内氏、秋月氏、豊臣秀吉の各大名に攻め落とされ、帰属の変更を繰り返しながら、重要な城として存続する歴史を繰り返す。
 秀吉の九州征伐以降は小倉城の付城として存続し、毛利勝信や細川忠興らに支配されるが、江戸時代初期の1615年(元和元年)の元和の一国一城令により廃城となった。      wikipediaより
建  物  1991年(平成3年)には山麓に7億5000万円の費用を掛けて模擬天守が建築された。模擬天守の1階は美術館となっており、入館料は無料。ただし、本来の岩石城とは無関係であり、城跡のメインとなる遺構は背後の山にあり、石垣や堀が残る。主郭近辺からは地域一帯を俯瞰することができ、同城がやはり重要な拠点であったことが推測される。       wikipediaより
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コメント  大きな駐車場がありここから歩いて登ることに、途中ハイカーの人と出会い城跡を聞くと山頂にあるというので一緒に登ってみると、どうも様子が違う、多分最後の登りまで行ったと思うが引き返して車道をどんどん下ると登り初めに近い場所に建っていた。本来は山頂が城跡であり石垣は一部残っているようで、今になって見てくればよかったと思っている。さて、城らしい建物は廃墟状態で中身は何もなく管理人もいない。
 近所に住むおばちゃんに状況を尋ねると大不評のようで町民から7億5000万円をどうしてくれる・・・・と怒っているようでどこも大変そう。模擬天守とはいえあるべき場所にないと誰も感動がわかないようです。またこの場所に来るのにケーブルカーも作ってあり、一時はきっと人を集めたに違いない。