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住 所 |
愛媛県宇和島市丸之内1 |
撮 影 |
2017/04/07 |
歴 史 |
現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎築城のときとされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。その姿を現在に残しています。
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建 物 |
現存十二天守の一つ。宇和島城の3重3階の独立式層塔型「天守」は、藤堂高虎が建てて老朽化していたものを、宇和島藩2代藩主・伊達宗利が、1666年に再建しました。
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文指定 |
国の史跡・国指定重要文化財
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コメント |
標高76mの小高い場所に建てられ、規模は比較的小さいですが現存天守であり、現存12城のひとつで、宇和島城天守閣は国の重要文化財です。木造の階段や天守最上階の木造作りは温かみを感じます。
ここからは四万十川流域を下り沈下橋などを見ながら高知県に向かいます。
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