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住 所 |
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481 |
撮 影 |
2016/07/19 |
歴 史 |
大永元年(1521年)に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされる。今日の大多喜城は徳川家康によって大多喜の地を支配した本多忠勝が築城したものと考えられてきたが、現在では信清の小田喜城を元にして後の大多喜城が築かれたものと考えられている。
天正18年(1590年)徳川家康に与えられ、その配下の勇将・本多忠勝が城主となり、大多喜藩10万石が成立した。忠勝が3層4階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行ったもの。これが今日の大多喜城である。大多喜藩は一時的に廃藩となったため、城は荒廃し城跡状態となってしまった。天保13年(1842年)には天守が焼失し、天守の代わりに2層の「神殿」と称する建築が天保15年(1844年)8月に建てられていたと考えられている。
wikipediaより
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建 物 |
明治3年12月に城は取り壊され、その後本丸も削平されたという。その後、昭和41年(1966年)に本丸跡は千葉県の史跡に指定された。昭和50年(1975年)に城跡に天保6年(1835年)の図面を基にして3層の天守が再建された。
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文指定 |
千葉県立総南博物館
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コメント |
今日は久々に快晴となり暑い。駐車場から5分ほどの場所に大多喜城が建っている。3層の城はバランスのとれた造りだ、日本の城は青い空が一番似合う。歩いていく途中に「本多忠勝・忠朝」を大河ドラマに・・とNHKにPRする旗が建っていた。・・ガンバレ・・
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