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住 所 |
千葉県千葉市中央区亥鼻1丁目6番1号 |
撮 影 |
2016/07/20 |
歴 史 |
千葉市の都市としての歴史は、千葉常胤の父千葉常重が亥鼻周辺に舘を築いたのが始まりである。
千葉氏は周囲の土豪の圧迫により千葉郡周辺の本所を守ることに汲々としていたが、その後常胤の時代に源頼朝の呼応に従い、又上総氏等の周辺の豪族が消滅したことから、千葉氏は亥鼻を本拠に下総国、上総国の支配権を確立した。
その後、1455年に千葉氏が本拠地を本佐倉城周辺(酒々井町・佐倉市)に移すまで千葉氏の本拠地として亥鼻の舘が用いられた。戦国時代に千葉氏と争ってこの地域に進出した里見氏が本佐倉城の千葉氏に精神的圧迫をかけるために亥鼻の舘跡地に出城を築いたとも言われているが詳細は不明である。
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建 物 |
4層天守が美しい現在の城は、昭和42年に小田原城(神奈川県)を参考に建設されたそうである。現在、亥鼻台地(亥鼻山)の中腹には千葉市立郷土博物館が建っている。
高層の楼閣である天守閣が築かれるようになったのはより後の時代であって、千葉氏が亥鼻に築いた舘は中世風の館形式の城郭であると考えられる。
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文指定 |
千葉市立郷土博物館
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コメント |
街の真ん中に聳えているお城、駐車場が近くにあってお城が見渡せる。模擬天守だが4層できれいな造りとなっている、到着したのが午前9時前だったので周辺を撮影していると外人さんが撮影中、日本のCastleに興味があるようで雑誌を見ながら巡っていた。
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