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住 所 |
愛知県豊橋市今橋町3 |
撮 影 |
2016/10/16 |
歴 史 |
永正2年(1505)、牧野古白により今橋城が築かれた。 戦国時代、東三河の要であった今橋城は、激しい攻防が繰り返されるなか、名称も吉田城と改められ、永禄7年(1564)には松平(徳川)家康が吉田城を攻略し、城主に酒井忠次を置きました。
天正18年(1590)、家康の関東移封によって池田輝政が15万2千石で入城し、城地の拡張や城下町の整備を行いましたが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後姫路に所替えになりました。 江戸時代には東海道の要衝として譜代大名が在城し明治に至った。
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建 物 |
昭和29年(1954)唯一の再建造物は本丸西北隅に三重櫓が復興されました。
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文指定 |
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コメント |
豊橋市の吉田城に近付くとやけに道路が渋滞していて前に進まない、交通整理の人に尋ねると「今日は公園で豊橋祭りです」という。道理で混んでるわけだと納得しながら公園の裏側にあたる臨時駐車場に到着。
ぞろぞろと歩いていく人の波に交じって進むと広場には露天商がいっぱい。地元の人らしい方に尋ねながら城の前まに到着。迷路のように歩いてきたので全体が把握できていない。さて、吉田城は隅櫓で天守でもある。裏には豊川が流れ自然の要塞となり広い公園内には様々な建物があったに違いない。再建は隅櫓のみであるが豊橋公園のシンボルになっているようだ。
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