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住 所 |
愛知県清須市朝日城屋敷1番地1 |
撮 影 |
2016/10/18 |
歴 史 |
応永12年(1405年)、尾張・遠江・越前守護の管領斯波義重によって築城。文明10年(1478年)に守護所が清須(=清洲)に移転することで尾張国の中心地となった。弘治元年(1555年)織田信長と結んだ織田信光によって信友が殺害され、以降信長が那古野城から移って大改修を加えた後、本拠として居城した。
信長は、この城から桶狭間の戦いに出陣するなど、約10年間清須を居城とした。1562年(永禄5年)には信長と徳川家康との間で同盟がこの城で結ばれた(清洲同盟)。天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ、城は次男・織田信雄が相続した。
天正14年(1586年)に信雄によって2重の堀の普請、大天守・小天守・書院などの造営が行われている。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの折りには、東軍の後方拠点として利用され、戦後は安芸に転封した福島正則に代わり徳川家康の四男・松平忠吉が入るが、忠吉が関ヶ原の戦傷がもとで病死すると慶長12年(1607年)には家康の九弟徳川義直が入城し、清洲藩の本拠となった。
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建 物 |
平成元年(1989年)に旧・清洲町の町制100周年を記念して、清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内にRC造によって建設された模擬天守である。創建当時の絵図が残っていないため、その規模も不明である。そのため、外観や規模は、実在した当時を想像して建てられた。
建造された天守は、桃山時代の城を再現するデザインで、江戸時代の漆喰塗廻の白い城とは異なる、装飾に富んだ姿となっている。
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文指定 |
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コメント |
さすがに信長の本拠地であったことできれいに管理されている。城そのものは模擬であるが歴史を思い浮ぶ場所である。
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