◇◇ 岩崎城 ◇◇
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岩崎城

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住  所 愛知県日進市岩崎町市場67   
撮  影 2016/10/18
歴  史  室町時代末の平山城である。小田信秀(信長の父)により享禄年間(1528-1531)に築城され、その後、徳川(松平)方に奪われたのち天文7年(1538)丹羽氏清が本郷城から移ったと言われ、以降、氏識、氏勝、氏次の四代に渉って慶長五年(1600)関ケ原の戦いの戦功により三河伊保(豊田市猿投町大字上伊保)に一万石の小名として転封されるまでの六十二年間居城しました。
天正十二年(1584)小牧、長久手の戦いの際に小田信雄、徳川家康連合の後方攪乱を狙った豊臣秀吉方の先鋒池田恒興隊を阻止して、城代丹羽氏重(傍示本城主)以下三百余名が討ち死にしたことが織田、徳川軍を勝利に導いたと伝えられている。城郭は、本丸、二の丸、東、西曲輪およびそれらを取り囲む堀や土塁などがよく遺存しており、昭和五十九年から六十一年度までの発掘調査の結果、貴重な資料が多く出土しました。
 城の概要の案内板より
建  物  城跡は竹やぶなど雑林に覆われたため比較的その遺構を保った。昭和62年(1987年)に展望塔として五重構造の天守閣(模擬天守)を築城、「岩崎城址公園」として整備された。
文指定 -
コメント  城に到着が午前8時ごろで管理人が枯葉を集める清掃中であった、往時の遺構も残っている。模擬天守閣だが4層構造の建物は壮観である。