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住 所 |
豊田市足助町須沢39-2 |
撮 影 |
2016/10/16 |
歴 史 |
「足助城」「松山城」「足助 松山の城」などと呼ばれ、かつては足助氏の築いた足助七屋敷の1つと推測されていたが、後述の発掘調査で足助氏の時代の遺構が検出されなかったことなどから、現在では戦国時代にこの地を治めた足助鈴木家の本城であったと考えられている。
築城時期は不明。大永5年(1525年)に松平清康がこの城を攻めた記録が残り、この際に清康の妹・久を2代鈴木重政の嫡子・重直に嫁すことで一旦は松平氏に下っている。
その後は離反帰服を経て、永禄7年(1564年)に松平家康に攻められたのちは完全に服属し、以降は松平氏の家臣団として戦った。天正18年(1590年)、家康の関東入国に従って鈴木氏も足助を離れ、真弓山城は廃城となった。 wikipediaより
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建 物 |
1989年(平成元年)に愛知県が開始した「愛知のふるさとづくり事業」と国のふるさと創生基金を合わせて城の復元を行なうことが計画されたが、飯盛山は県の史跡指定がなされていることや、時代が古いために櫓など小規模な復元にとどまることなどから、戦国時代の城である真弓山城を復元することが決定され、1990年から1992年にかけて発掘調査と復元が行なわれた。
事業にあたっては幾つかのコンセプトが定められた。本丸には高櫓と長屋、西の丸に物見矢倉、南の丸にも物見台や厨、また各所に板塀などが復元され、1993年(平成5年)5月に「城跡公園足助城」として開城した。
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文指定 |
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コメント |
秋の観光シーズンは香嵐渓などが以外に近い場所で、今回のドライブで知った次第です。城は見張り台のような櫓が再建されていて、はるか下に景色とともに町も見渡せてハイキングにはちょうどいいかもしれないが何回も見に来る場所ではないようだ、今後の維持が重荷にならなければ・・・・
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